2/9 むかしあったもの・いたひと

昔いたひとに会えない。

死を扱うと、途端にみんな白々しくよそよそしくなるけど、結構身近だし、デリケートではあるがありふれてる話だから、もっとちゃんと話せる気がする。

 

わたしにはおじいちゃんが2人いる。

1人は11のときに、1人は19のときに死んでしまいました。

どちらもガン。めっちゃベタなこと言うけど、ガーンて感じでしたマジでな。

ちなみにおばあちゃんも19のとき、1人亡くなりました。旦那が死んで数ヶ月後にお風呂で心臓が止まっちゃったかなんかで倒れて、亡くなっていたそう。寒くなかったかなあ。

なお、もう1人のおばあちゃんは元気元気!うれしいかぎりです。

 

 

19のときに亡くなったおじいちゃんを、わたしは身内の中で特に好きでした。身内の中で特に好きってなんかちょっと嫌なにおいのする言葉だけど、真実。

おじいちゃんとのツーショット写真があって、わたしは1歳くらいなんだけど、めちゃくちゃいい笑顔してるんだこれが。好きだったんだなあ。

 

おじじ(こう呼んでいたので以下これで)は、ものすごくよく食べる人で、一度手術して胃が三分の一かなんかになったのにめちゃくちゃ食べていた。

でも、末期になって、ぐんぐん痩せて、久しぶりにお見舞いに行ったとき、ショックすぎて、バレないようにたくさん泣いてしまった。

足をもんであげたんだ。

 

おじじは死ぬ直前、携帯電話を託された。というかずっと持ってたんだけど使ってなかったんです。入院してからメールを覚えて、送ってきてくれてました。

一通目から、誤送信の白紙のメールまですべて保存してある。

おじじは、病室の窓から赤とんぼが見えますだとか、見えませんだとかばっかり送ってきていたけど、あるひ、お家に帰りたい的なニュアンスのメールが来た。

お家に帰りたい。

 

いまもおじじが死ぬときのことは鮮明に覚えている。

いよいよやばいという電話を受けて、1時間半かけて帰省、病院直行したら、ほんとに目も口も開けっぱなしで閉じられなくて

でもわたしや姉が声をかけるとほんのちょっと反応してくれた。いまも泣いている

病室に我が家族4人が揃って、なんかそれも久しぶりのことだったんだよなあ。

夜までそんな状態が続いて、(電話は朝だった)今日はもう遅いからおばあちゃんは家に帰そうってなって、我が家族とおじじだけが病室に残った。それまでおじじの体のどこかしらをずっとさすってたわたしも、適当におにぎりとか食べて、油断してたのしく話していて。

「わたしこないだ短歌大会に出したんだよね〜!」というしょうもない話で家族一同笑ってたら、「あれ?!おじじ息してなくない?!?!」

おじじが死ぬ瞬間、わたしは短歌大会に短歌を出したとかいう話をしていた……しかも落選した。

 

これは一生忘れない。あの病室、悲しみすぎて逆に明るくなっちゃった家族4人、その笑い声の中なくなった祖父、死に目に会えなかった祖母。

 

 

むかし、なんてことなく会えていたひとに会えない。

当たり前のことではあるんだけども

おじじとおばばが住んでいたおうちは、住人を失い、結局取り壊された。だからもう、あの家に行くこともできない。

 

人が死ぬというのは当たり前のことなのに、ほんとにすぐ隣にあることなのに、これまた当たり前だけど慣れることがない。

会えないこと。

会いたいひとに、どうやっても会えないこと。

 

せめて悔いなく生きて〜〜と思います。自分も。

着地点がわからないんですがそんなこと思いました。

 

会ったこともない、そしてもうこの世を去ってしまったから会うこともない人を好きになってしまったので、たまにこういうこと考えてしまうんだなあ